shin-demaeの日記

うなだれ10年大学院修士2年生

新卒にしてエントリーシート出さず

中2で腐りだした。青いDSでyoutubeを見だして、中二病にかかりに行って、もう今、腐った。ごめんなさい。

 さっき、第一志望のエントリーシートを出すのを諦めた。間に合わないから。23:59に提出で、一時間半前になって、「業界に行きたい理由(200文字)」、「当社を死亡した理由(200文字)」「学校生活で力を入れたこと、その中で学んだことやそのプロセス(200文字)」「弊社に入社したらやりたいこと(800文字)」「10年後のキャリアの目標(200文字)」が空欄だった。でやめた。埋めていたのは「研究内容(300文字)」「趣味や特技(120文字)」で、でもどっちの文章も思いついた順に書いてたり、書いているうちに方向転換したりだとか、思いついて加えたりだとかしてる間にぐちゃぐちゃになったまま放置したんだった気がする。

 文章が書けなくなったのは、特に大学3、4年からひどくなって、いまは本当にまずい。進まない。今も進まなくなってる。この文章書き始めは何も考えてなくてよかったのに。考えてるうちに、順番変えたほうがとか、詳しくしたほうがとか簡潔にしたほうがとか、この内容も加えようかとか、やっぱり結論変えたほうがいいかもとか、迷いながら描く。いろんなことに目が行き過ぎてどうしたらいいかわからなくて進まない。
 これは文章だけじゃない気がする。これは文章に限らない気がする。これは文章に限った話じゃない気がする。これは文章を構成する力が衰えたとか、それだけが原因じゃないのかも知れない。これは文章力の問題なだけじゃない気がする。これは文章力だけの問題じゃないんだと思う。思う。気がする。うすうすそう思っている。うすうすそう感づいている。これは文章を書くときに特に露呈するだけで、もっと根本に、創作ができない何かがあるんだと思う。創作をさせなくさせている何かがそだっているんだと思う。創作を阻んでいる何かが巣くっている。

 自分が創ったものを信用していないし、完璧にしなきゃいけないと思っているんだってのはわかる。自分の文章見ながら直す、つまり、0から1をつくったときに、それを修正しようとする力学が自分の中の魔物になっていたはずが、それだけでなくて、0をそもそも生み出させなくしてる。こうしてる間にも文章を作る時間が伸びていくし迷っているし構成するようになっている気がする。17時半から書き始めて、まあ夕飯と買い出しを含んだのでロスが1:20だとして、それから22時半までの間に、420文字。
 学生時代に力を入れたことなんて、課題とか本番とか自分を追ってきたやつらぐらいな気がするし、うーんそれも違うかもしれないけど、やったことは真面目に自分が納得する形になるのが気持ちよかった。実際自分が納得する形になるまでやったことは、ないけど。やり切れたなって感覚なんて、大学生になってから、たぶんない。サークルも、まーやってた。だけど、やってた役職についても、申し込み締め切り間に合わなくて外部の人から怒られたこともあるぐらいだし、ちゃんとここまでは最低やろうってなってたラインも超えてなかったりした。言い訳っぽくなってきた。

 そもそも「学生時代に力を入れたこと」なんて、就活の最初の最初に考えるものなわけで、でも3月に就活解禁した一方で、私はこれに一日中考えているにも関わらず、まったく頭に浮かばず、一文字もかけずにここまで来た。おかげで、就職活動のスタートをまともに切れていない。
 今日の会社の志望度は、一番だった。やりたいことは、こういう仕事にやりたいってのは、あった。これは、問題なかった。それだけは割とまあはっきりしてた。だけど、結局今日出さなかった。なんか、それほど落ち込んでいる気もしない。こんなにぐだっている就活生、あんまいないだろう。そんなに、行きたくもなかったのかなと思うけど、会社のホームページは魅力的だった。

 そもそも自分がどうにかしても自分も現状も変わらないってあきらめてんのかなって思う。甘ったれた文章で、自分で書いてても失望してきた。いや、もう失望はしてるんだけど、、こうして文章にしてみると、自分が自分に失望するっていうのは、甘えているって感じが結構する。
 完璧主義はダメってよく言われる。Daigoも言ってた。めちゃくちゃにわかる。実感とともに理解できる。わかる。私の場合は、「普通にこれもカバーしないとレポートとしてまずいだろう」、「資料としてまずいだろう」って方向で、完璧主義(?)思考を発揮してきた。「私が作る資料としてまずいだとう」っていう、自分の期待からの、自分に対する完璧主義だけじゃなく。まあ、結果完璧どころか、落第なんだけど。。
 取り組むまでずっとそのこと考えてるのに取り組みだす時間は遅い。それで、予定よりずっとかかる。締め切りが近づくと、焦っていよいよ文章が作れなくなる。

 人間としていきていけない。社会の構成員として、社会にいちゃいけないと思う。時間が守れなくて人に迷惑はかけるし、、人にたくさん迷惑かけてきたけど、ほとんどの大無礼がギリギリになってやりだして間に合わないに集約すると思う。
 中2からyoutubeで簡単に快楽を手に入れられるようになって、すっかりジャンクな快楽にはまって、全く自制できず、何かを能動的に取り組む体力も、youtubeに自分を漬け込みながら失くしていったと思う。目先の快楽を優先して、就活レベルのやるべきことに立ち向かわなくなって、私は家に社会に学校に寄生して腐ってる。
 もう一つの大無礼の集約先は、撃たれ弱いわりに、目立ちたがりやで承認されたい気持ちがあるところだと思う。頭よく思われたいってのもあると思う。最近は、頭よくないことがわかったから、期待されたくなくて頭良いって思われるのをかなり拒否しがちだけど、でもその欲求は消えてないと思う。

 この社会は生きづらいっていう人がよくいるけど、私は、生きづらい社会を作っている側だから、申し訳ない。人として、電気も水道もコンビニもくれる優しい社会にいさせてもらっているけど、私は何もできないどころか、だるい存在でしかない。どうしたら人間社会で居てよくなるのか。一つは「人としてこれだけはできなきゃだめだよね」という最低ラインをクリアすることで、もう一つは、そのラインが基準がない環境とか世界にいくこと。でも、私は20年間最低ラインをクリアできていない。小学校6年生で初めて立ち向かって、負けて、そこから今まで負け続け。だから、最近は、基準がない世界がどこにあるのか、どうやったら行けるか、それを考えてる。甘えてるのはわかるけど、もう終わりにしたいと考えていた頃よりは、どうにかしようとしていてまだましでしょ、許せ。

 22:57から書き始めたのに、22:48の今、2352文字で、何も構成しないで書き続けた割に、大した量かけてない。ほとんど前後せずに書き続けられただけ、私にしたら稀なことだけど。段落だけつくって何も直さないで投稿しよう。

 

 

結局読みやすくしたくなってちょっと書き直した。見栄を張りたくなった、、
1時間書いて気付いたのは、文章の感じがちょっとかわってくるってわかった。途中からすごくうち向きになって、そのあとしゃべり言葉っぽくなって、書き直してるときは堅くて変になった。
もう日付超えてた0:29。さようなら第一志望、昇華されてなんか未練はないような、今になって悲しい感触を胸に感じるような

 

 

 

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4/17に投稿していたもの

自分が不幸であることに安心する

そういえばそう。サークルの仕事は手間だった。わざわざ施設にお金を払いに行ったり、予約をしに行かないといけなかった。部屋代の立て替えをしないといけいこともあった。

 

 

でもそれが安心した。何もない日に施設まで行かされることが、十万円以上をサークルに貸し出すことが、負担をかけられてる状態がすごく安心だった。

仕事が大変だろうからって、施設から家が近い人に予約しに行ってもらうようにしようって話もあった。ばれないように拒否した。そんなんやられてたまるか。絶対いや。それを奪われたらどうしたらいい。私以外に、不幸の人ができて哀れまれてねぎらわれるなんてそんなのは嫌すぎた。

 

自分こそが、不幸でかわいそうで頑張ってくれてる人でないといけないのに。仕事を奪われるのは嫌だった。自分が立て替える金額が増えれば増えるほどうれしかった。

 

それ以外に、私がサークルに貢献したことは特になかった。それどころか、全体的には迷惑かけてしかなかった。私の仕事も丁寧じゃなかったから、本当は、私以外の人がやったほうが良いことはわかってた。それを感じてる人もきっといた。だけど、引継ぎは面倒だのと匂わせたりして、仕事を奪われないようにしたかった。

 

なんか、自分に自信がないとか、そういうことなんだろうかな。こんなに自分に自信がないのか。

そりゃそうだよな。だって本当に頑張れたこととかないもん。かろうじて高校、いや、まだ現実みずに女王様気分だった、小学校とかまでさかのぼらないと、私がなにかやったことなんて本当に何もない。

自分の特徴、それ強味にならないし、困難は乗り越えれてない

あなたの強みはなんですか。困難があったときに、どのように乗り越えましたか。

履歴書に書かないといけないけど

 

乗り越えてねーよ何も。

自分の特徴はあっても、それが強みになることがない。弱みにしかならない。

 

困難が何もなかったかっていったら、日々困難はしてる。地球で生きる社会の構成員としての素質がたりなさすぎて、普通の生活を送ることすらも困難はしてる。でも、周りが困難っていうより、自分で困難を常に作り出してる。

 

特徴。真面目とか誠実とか言われることがある。でも、それが良いようにはたらいたことない。強味にならない。だって思考はまじめで誠実でも、行動が、大不誠実。

いつも、マジメに考えまくり、その結果、一般には普通の課題を大困難と捉えて、プレッシャーに押しつぶされて、布団のなかで震えるなり、パソコンを開いては閉じるなりして、一日中プレッシャーを味わうだけ味わい、実りあることは何も手を付けられずに撃沈。自分でやりきらなきゃって思いは真面目ちゃんなりにあっても、それは良いように作用してはくれなくて、ちゃんとプレッシャーを味わって苦しむように自分を押さえつけてくれるだけ。

クズすぎる。

Daigoが完璧主義はダメって説明してた、ほんとそう、ごめんなさい

 

大学三年くらいからそういう感じ加速してきたけど、特に最近、ひどい。困難を困難として重く受け止めすぎる。ちょっとした課題とかメールでも、「できっこない」ってなって、頭の中心から後ろ側が特にぐるぐるして、胸もぐるぐるして、血圧下がって気持ち悪い。心の防御作用として、「できっこない」って思うようになってんのかな。でも文章が頭に入らなくなるし、じっくり冷静に考えることができなくて、吐き出すままの文章しか打てなくなるから、もう辞めたい。なんでこうなんだろう。

 

評価されるのが怖いのもあるんだと思う。最近気づいた。

同年代の文章を見ると、意外と皆ちゃんとした文章かけてなくて、正直ほっとすることが最近多い。よう正気でこれを提出したなってことも思う。でた、上から目線。だけど、自分の文章見ると、同じようなもんで、すげえ下手で、見てはへこむ。うまくなるって前提は、頭にはもう無い。

 

提出しなきゃいけない書類は、ぼんやりしてて忘れたり、毎日思い出すけど向き合うのが億劫とか怖いとか気が重いとかで、意図して開かずにいて、提出日になって開いた時には、思いのほか書かなきゃいけない文字数が多かったり、ほかの人に協力してもらわないといけなかったりしてて、遅れる。

(追記 今も、一件遅れてる。いや2件だ、と思ってたら4件だったことに気が付いた。無理だ、死ぬ、、、)

思考 徒然なるまま

いざ研究室に来ると、面倒くさくて、手を付けたくなくなる。

 

プログレス発表、爆発した。

死んだ。何を話しているかわからなくなって爆発した。文章のはじめに選ぶことを間違えて、何が主語か見失ったまま、何を言いたいか見失ったまま、話始める。で、今回は死んだ。たいがい死んでるけど。

何かどうしても言いたいことを作るために、今日は4時間くらい使った。何となくまとまった。けど、いざ話したらこうで、、

何かどうしても言いたいことは、本来は、1週間くらいの活動結果であるはずらしい。でも、数週間かけて頑張って活動するなんてことをせずに、時がたって毎度ないプログレスを埋めるために数時間をかけている。緊張で、1日かけてやっても埋まらない時もあるけど。

 

大学の先生も自分のポジションに必死だったりするのか。確かに。そんな風には思ってなかった。学問にシンプルに没頭しているのかと思っていたけど、この人たちも、失いたくないポジションにしがみついていたりするのかな。

意外。

 

色々気になることはあるけど、どこから手を付けたらいいんだろう。それはとりあえず手を付けろよって話なのかな。話って、だれが指示する話か知らんが、、先生か神様ワラ

 

シンプルに面倒くさい。あと誰か言ってたけど、始めることで評価が下るのが怖いのかもしれない。

 

有働さんと成田さんの動画を聞きながら書いていると文章が書けない。始めることで評価が始まる、とか書いてるし、、

緊張してるときとか、こういう文章になる。というか文章にならなくて、文章に組み合わせられなくて、こうなる。

 

みんな勉強している。えらいなあ。

 

えらいなあ、と思ってたけど、だが情熱があるを昨日見た、ら、えらいからやってるってふざけんなよって感じなんじゃないかと思った。

 

ipadのスクリーンが大きければいいのに。パソコンも画面が小さい。

小さくて、2つの画面をいっぺんに見比べたいのに、できなくて不便。

いっぺんに見比べたら、いろいろ気が付きそう。

いろいろ気がついたことをまとめて、メモにして、それがこれから取り組むことになりそう。

 

えらくてやってるんじゃなくて、やるためにやってるんだよな。

なんでみんな英語話せるの

先々週くらいに書いた

 

数か月英語圏で過ごした。今月帰ってきたばっか。当初は、聞き取れない、なんて言ったらいいかわからない、ミスするのが怖いで、ろくに会話に参加できず。授業も何言ってるかわからず。帰国前も英語が上達してた訳じゃなかった。アドリブじゃ発表なんて到底できない。空港チェックインで普通に何言ってるかわからずひっかかった。そんな状態で何を得たって、英語話すのにビビらないことだった。そう思ってた。

今日、英語話すのにびびった。日本人とか、近しい人たちには、やっぱり自分がろくでもない英語しか話せないってばれることが、若干怖い。そんなこと言って怖気づいて何もしないのがゴミなのはよく実感する。自分は間違ってないと強気で戦わないといけないらしい。英語圏では自分のゴミ英語を、恥ずかしげもなく使って精一杯話していた。話せてない自分なんて、もどかしさはあっても、必死だから恥ずかしいと感じる隙がなかった。自然な言い回しとか英語らしい言い回しとか考えてなくて、ストックの文法やら単語を駆使して、伝えることに夢中だった。自分ができないやつっていう免罪符がでかくて、今更うまくやろうとしても無駄だと思っていた気がする。「英語できない日本人なんだから、許せ。」と強気だった節すらある。

英語使ってる人が多いから、英語が使えたら世界が何もかも広がるし、逆にできないと何もできないってことは、よく感じた。

人生約20年で出会ったプロ

人生20年くらいで、この人はプロだ、と感じたのは、二人いる。

 

 大学生時代のA先生。生徒らじゃ聞き取れないような、わずかなの音やリズムのずれを聞き分けて、音が違うと、それじゃねえとイライラを抑えずに詰めてきた。こだわりというより、強い信念をもっていて、曲げなかった。まずその技術の高さが、理解不能。今のはよかったって言われたところで、さっき怒られたパターンと何が違ったのか、正直自分でわからなかったりした。昔から正確性を聞き分ける才能には恵まれていたらしい。半端なく勉強もしている。苦しくても苦しみながら頑張ってて、すごい。

 自分の信念のために、一切とりつくろわずに嘘をつかない人だった。それゆえの厳しさだったし、機嫌の良しあしも全く隠さないから、10分前は太陽だったにの10分後には大変な大嵐になっていることもあり、機嫌がいいからといって油断はできなかったし、そもそも機嫌がいい瞬間は少なかった。廊下で会うたびにビビっていた。挨拶すらもビビった。一応言ったから、と言い訳するためにこんにちはの形に口を動かしてた。直接かかわるのは怖くて嫌だったのは、こういうへっぴり腰が、一番嫌いそうだったから。でも生徒には海溝より深い愛があった。それはめちゃくちゃに伝わってた。厳しいのは、全部生徒を思ってのことだった。

 それから、いろんなことに関心があった。教育にも政治にもとても関心が高くて、というか気にならずにはいられないという感じだった。生徒たちにとっては、もはや当たり前すぎて何の疑問も抱いていないルールにも、それか当たり前過ぎて変わることをあきらめている常識にも、疑問を持って、感情的にぶつかっていってた。すごい人って、いろんなことに関心があるんだなって思う。

 その人が、業界の中でも、際立って世界的に活躍していたのは、日本だけじゃなくて世界全体を相手にみていて、世界のアイテムやそれを作り上げる人に強く関心があって、仲良くなろうと近づいて行ったからだと思う。実力だけでも神の領域だけど、世界で活躍している訳はそれだけじゃないと感じた。それは明らかだった。

 周りの人と協力的で、A先生の才能や考え方を信じて、ついていく人が周りにたくさんいた。それが先生が作りたいものを実現させていっていた。チームじゃないと、できないことはたくさんあった。チームを広げて、私を含めてたくさんの人に、成長の機会や当たり前じゃない価値観の存在を教えてくれた。輪を広げていることは、それは周りの人の生活を豊かにしてくれて、惑わされない人間にしようとする機会をくれてた。

 

 大学院で出会ったH先生。昔は厳しかったらしい。自分も、同級生の中じゃ、どうやらきつめな言葉を言われているみたい。ロンリテキ思考力がすごい。文章もスライドもコテンパンにやられるけど、その人が示す指示は、的確。正直、生徒が示したダメな例と、先生の言う良い例の違いは、分かっていないときもある。自分じゃ感知できないくらいの違いに気づいてる。でたらめな指示って訳じゃなく。すごい。本当はわかってないなんて言ったら、本気で失望されるだろうから、絶対に言えないけど…。

 こうと決めたことを必ずやり抜いている。それを感じるのは、生徒に接している場面。ものすごく感情を律して、教師として理想的なふるまいを保とうとし続けている。生徒をものすごく観察していて、めちゃくちゃに気を配っている。穏やかな声と表情をキープするのに、とんでもなく神経すり減らしているのが痛いくらい伝わる。絶対すごく疲れてる。なのに、その姿勢が崩れた瞬間を、ほとんど見たことがない。プロだと思う。素っぽい先生を2回くらいみたことがある。2回とも、H先生が、仲の良いM先生と話していたとき。いつも鼻濁音、腹式呼吸の先生が、「○○せえんだよ」と低い声で笑いながら発した。大学生みたいに荒っぽくて、あまりの差に驚いた。本当に気を使って演じてるんだと思った。H先生のこの努力によって恩恵を受けたかというと、わからない、はずは、ない。

 それから、やっぱりこの人も、よく質問していたりして、いろんなことに関心があるんだと思う。そう見せているのかもしれない。感覚が敏感なんだと思う。それから、自分の発言に自信を持っている。いろんな人の批判を恐れずにしているのを見てそう感じるし、人の批判をできるって、すごい人のように、見える。

 この人も、いろんなところにつながりがあって、すごいと思う。積極的にかかわりに行っているらしい。自分から発信していって、いろんなところにかかわりに行って、学ぶと同時に自分のスキルを提供してくる場所を意識して作っているんだと思う。それもプロっぽい。厳しいけど、根底には人のためを思っているというのがわかっているので、みんな慕わざるを得ないんだと思う。

 個人的には、やっぱりこんなへっぴり腰が一番嫌いそうだから、全然話しかけたくない。でもすごい。これからも、指摘を受けるたびに、どんどんこの先生のことを苦手になっていくと思う。

 

 

 こいつはプロじゃないクズと思った人は、塾講師のMさん。「最近の生徒は、本当に何も知らないんだよね」と、バイト面接を受けに来た私に、バックヤードで言った。完全にバカにしていた。授業準備は何もしない、開始前の5分で出来ると、誇らしげに言っていた。瞬きが長くて、眉毛を必要以上に持ち上げたり下げたりしていた。学生の私に楽しそうにマウントをとっていた。

 しかし、Mさんはいわゆるいじられキャラで、生徒には好かれていた。生徒の前に立った時の、教師としてのキャラづくりや振る舞いの選択に関しては、プロっぽ、かった。男の授業が誰よりもゴミだったことは心の救いだった。